いざなぎ景気:高度経済成長を象徴する好景気

いざなぎ景気:高度経済成長を象徴する好景気

投資について知りたい

先生、「いざなぎ景気」って、どういう景気のことですか?

投資アドバイザー

いい質問だね。「いざなぎ景気」は、1965年10月から1970年7月までの約5年間続いた、とても長い好景気のことだよ。

投資について知りたい

5年間も続いたんですか!そんなに長い間、景気が良かったんですね。何か理由があったんですか?

投資アドバイザー

そうだね。当時は東京オリンピックや大阪万博といった大きなイベントがあったこと、それから、カラーテレビや自動車といった新しい製品が次々に登場して、人々の消費意欲が高まったことなどが、好景気の要因として挙げられるよ。

いざなぎ景気とは。

「いざなぎ景気」は、投資の世界で使われる言葉です。これは、1965年10月から1970年7月までの約5年間、日本の景気がとても良くて、それが57ヶ月も続いたことを指します。これは、日本の歴史の中でも特に長い好景気の期間でした。この言葉は、それまでの好景気である「岩戸景気」よりも長く続いたことから、日本神話に登場する神様である「イザナギノミコト」の名前をとって名付けられました。

いざなぎ景気とは

いざなぎ景気とは

– いざなぎ景気とは1965年10月から1970年7月までの約5年間、実に57か月間も続いた好景気を「いざなぎ景気」と呼びます。これは、日本の高度経済成長期を象徴する出来事として、歴史に名を刻んでいます。

この時代、日本は「国民所得倍増計画」を掲げ、国民全体が一丸となって経済成長を目指しました。東京オリンピックの開催も、日本経済に大きな活力を与えました。街には新しい建物や道路が次々と建設され、人々の暮らしは豊かになっていきました。

「いざなぎ景気」は、単なる好景気ではありませんでした。戦後の焼け野原から立ち上がり、本格的な経済大国への道を歩み始めた、日本の大きな転換点だったと言えるでしょう。

項目 内容
期間 1965年10月~1970年7月 (約5年間)
特徴 – 57か月間継続した好景気
– 日本の高度経済成長期を象徴
– 「国民所得倍増計画」のもと、国民全体で経済成長を目指した
– 東京オリンピック開催による経済活性化
– 戦後復興から経済大国への転換点

景気拡大の要因

景気拡大の要因

戦後、日本は高度経済成長期と呼ばれる、目覚ましい経済発展を遂げました。その中でも、「いざなぎ景気」は、1965年11月から1970年7月までの57か月間にわたり、日本経済が驚異的な成長を記録した期間として、特に知られています。
では、一体何が、この未曾有の好景気を支えていたのでしょうか。
いざなぎ景気の原動力となったのは、国民の旺盛な需要でした。当時の人々は、冷蔵庫や洗濯機、テレビといった家電製品や、自動車などの耐久消費財を積極的に購入しました。人々の購買意欲の高まりは、企業の生産活動を活発化させ、日本経済全体を押し上げる大きな力となりました。
さらに、企業による設備投資の活発化も、いざなぎ景気を加速させました。鉄鋼や造船といった重化学工業を中心に、企業は生産能力を増強するために、積極的に設備投資を行いました。この投資の活発化は、更なる経済成長を促進し、雇用創出にも大きく貢献しました。
このように、旺盛な個人消費と積極的な設備投資が好循環を生み出し、日本経済は右肩上がりの成長を遂げることができたのです。

期間 景気名 特徴 要因
1965年11月~1970年7月
(57か月間)
いざなぎ景気 驚異的な経済成長
  • 国民の旺盛な需要(家電製品、自動車などの耐久消費財)
  • 企業による設備投資の活発化(重化学工業中心)

いざなぎ景気の功罪

いざなぎ景気の功罪

1964年の東京オリンピックを成功裏に終えた日本は、その後も高度経済成長を続け、「いざなぎ景気」と呼ばれる未曾有の好景気を経験しました。国民の所得水準は大きく向上し、白黒テレビや冷蔵庫といった家電製品が多くの家庭に行き渡り、人々の生活は豊かさを増していきました。マイホームを持つ夢を実現させる人も増え、休日には家族でドライブを楽しむ姿も珍しくなくなりました。

しかし、その一方で、急激な経済成長は、光と影を社会にもたらしました。工場の煙突からはもうもうと煙が立ち、川には工場排水が流れ込み、空気や水は汚染されていきました。人々の健康を損なう公害問題が各地で発生し、深刻な社会問題となりました。また、地方から都市部へ仕事を求めて人々が集中し、人口の偏りが生じました。東京などの大都市では、住宅不足や交通渋滞が深刻化し、人々の生活を圧迫するようになりました。地方では過疎化が進み、都市部との経済格差が拡大していきました。

項目 内容
高度経済成長期 – 1964年の東京オリンピック後の好景気
– 「いざなぎ景気」と呼ばれる未曾有の好景気
– 国民の所得水準向上、家電製品普及による生活の豊かさ
経済成長の影 – 公害問題:工場の煙や排水による大気・水質汚染
– 人口集中による都市問題:住宅不足、交通渋滞
– 地方の過疎化と都市部との経済格差拡大

いざなぎ景気の終焉とその後

いざなぎ景気の終焉とその後

1970年7月、日本の高度経済成長を象徴する「いざなぎ景気」は幕を閉じました。終焉の要因としては、オイルショックによる原油価格の急騰や、物価が継続的に上昇するインフレーションの発生などが挙げられます。原油価格の高騰は、企業の生産コストを押し上げ、経済活動全体にブレーキをかけました。また、急激なインフレーションは、人々の生活を圧迫し、消費意欲を減退させました。

しかし、いざなぎ景気が日本の経済成長に大きく貢献したことは間違いありません。この期間、日本は世界第二位の経済大国へと躍進し、国民の生活水準も大きく向上しました。自動車や家電製品などの耐久消費財が普及し、人々の生活は豊かになりました。また、道路や鉄道などの交通インフラも整備され、経済活動を支えました。

一方で、高度経済成長は、公害問題や都市問題など、新たな社会問題も生み出しました。工場からの排煙による大気汚染や、工場排水による水質汚染などが深刻化し、人々の健康を脅かしました。また、都市部への人口集中は、住宅不足や交通渋滞などの問題を引き起こしました。

いざなぎ景気の経験から、私たちは多くのことを学びました。特に重要なのは、経済成長と社会問題の解決を両立させることの重要性です。持続可能な社会を実現するためには、経済成長を追求するだけでなく、環境保全や社会福祉にも積極的に取り組む必要があるのです。

項目 内容
期間 ~1970年7月
出来事 いざなぎ景気終焉
要因 – オイルショックによる原油価格高騰
– インフレーション発生
影響 – 企業の生産コスト増加
– 経済活動の減速
– 人々の生活水準の低下
– 消費意欲の減退
いざなぎ景気の功績 – 世界第2位の経済大国
– 国民生活水準の向上
– 耐久消費財の普及
– 交通インフラの整備
高度経済成長の課題 – 公害問題(大気汚染、水質汚染)
– 都市問題(住宅不足、交通渋滞)
教訓 経済成長と社会問題解決の両立
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