金価格に影響?中央銀行金協定とは

金価格に影響?中央銀行金協定とは

投資について知りたい

『金投資の中央銀行金協定』って、どういう内容か教えてください。

投資アドバイザー

簡単に言うと、欧米の中央銀行が金の売りすぎで金価格が下がるのを防ぐための約束だよ。具体的には、年間どれくらいまでなら売っても良いか、という上限を決めたんだ。

投資について知りたい

なんで、そんな約束が必要だったんですか?

投資アドバイザー

昔は金の保有量で国の通貨の価値が決まっていたんだけど、今は違うんだ。だから、中央銀行が持っている大量の金を売ると金価格が下がりすぎて、世界経済に悪影響があるって心配したからだ。協定で金の売却量を抑えることで、価格の急落を防ごうとしたんだよ。

金投資の中央銀行金協定とは。

ヨーロッパやアメリカの銀行は、『中央銀行金協定』という約束のもとに、たくさんの金を保有しています。これは、各国の外貨準備のおよそ35%を占めています。昔は、お金の価値が金によって保証され、いつでも金と交換できました。その名残で、銀行はたくさんの金を保有しているのです。しかし、20世紀になると、お金は金と交換できなくなりました。そのため、銀行が保有する金の量は多すぎると考えられるようになりました。1980年代から1990年代にかけて、ヨーロッパの銀行は金を売却し始めました。その結果、金の価格が下落しました。例えば、1999年にはスイスの銀行が1300トンもの金を売却しました。また、イギリスも保有する金の半分を売却すると発表し、実際に売却を行いました。金の価格が急落することを恐れたヨーロッパの銀行は、売却前に必ず知らせること、そして、年に売却できる金の量を2004年までは400トンまでとすることに合意しました。さらに、金の採掘会社が将来の金の生産のために借りていた金を、市場に貸し出すことも禁止しました。この最初の約束には、ヨーロッパ中央銀行、スイス銀行、イングランド銀行など、15の機関が参加しました。その後、2004年には年に売却できる量を500トンまでとする新たな約束が結ばれました。さらに、2009年9月には、世界的な金融危機の影響で金の売却が全く行われていなかったことから、年間の売却上限を400トンとする3回目の約束が結ばれました。この3回目の約束は、2014年9月に期限切れとなります。2013年の秋までに売却された金の量は、上限である1600トンのうち、わずか20トンにとどまっています。

膨大な金準備と金本位制の名残

膨大な金準備と金本位制の名残

欧米の中央銀行は、莫大な量の金を保有しています。その量は、外貨準備高全体の約35%にも達します。これは、19世紀に主流であった金本位制の名残と言えます。

金本位制とは、各国の通貨を金と交換することを保証する制度でした。この制度の下では、通貨の価値は金の量によって裏付けられていました。そのため、各国は自国通貨の信認を保つために、金準備を積み増す必要がありました。

しかし、20世紀に入ると、2度の世界大戦やオイルショックなどの影響で、金本位制は崩壊へと向かいます。現在では、主要国の通貨は管理通貨制度に移行し、金の保有量と通貨の価値は直接的には結びついていません。

そのため、かつては通貨の信認を支えるために必要不可欠であった膨大な金準備は、現在ではその役割を失いつつあります。一部の経済学者からは、金準備は保有コストがかかるだけで、過剰な資産であるとの指摘も出ています。

時代 制度 金の役割 金準備に対する考え方
19世紀 金本位制 通貨の価値の裏付け 通貨の信認を保つために必要不可欠
20世紀~現在 管理通貨制度 通貨の価値との直接的な結びつきは無し 保有コストがかかる過剰な資産との指摘も

金価格下落をもたらした中央銀行の売却

金価格下落をもたらした中央銀行の売却

1980年代から1990年代にかけて、金価格に大きな変化をもたらす出来事が起こりました。それは、ヨーロッパの中央銀行による金の売却です。金は長らく価値の象徴とされ、各国の中央銀行は経済の安定を図るために金準備を保有していました。しかし、この時期になると、各国は通貨の安定よりも経済成長を重視するようになり、その方針転換を象徴する出来事として、中央銀行が保有する金の一部を手放し始めたのです。
とりわけ、1999年にスイスの中央銀行が行った1300トンもの大量の金売却は、市場に大きな衝撃を与えました。この売却量は、当時の金市場の規模から考えても非常に大きなものであり、金の供給過剰を招き、価格の下落に繋がりました。また、イギリスも金準備高の半分を売却する方針を表明し、金の価格下落に拍車をかけました。
これらの出来事は、金が絶対的な価値を持つものではなくなりつつあることを示す象徴的な出来事として、市場関係者に強い印象を与えました。そして、その後の金価格の推移にも大きな影響を与えることになったのです。

時期 出来事 金価格への影響
1980年代~1990年代 ヨーロッパの中央銀行による金の売却開始 価格下落の開始
1999年 スイス中央銀行による1300トンの金売却
イギリスによる金準備高の半分の売却表明
金の供給過剰による価格下落の加速

価格安定のための協定

価格安定のための協定

– 価格安定のための協定

1960年代、金は国際通貨体制の重要な役割を担っていました。しかし、金価格の乱高下は、世界経済に大きな不安定さをもたらす可能性がありました。そこで、金価格の安定を図るため、主要国の中央銀行間で協定が結ばれることになりました。これが「中央銀行金協定」です。

この協定では、参加国の中央銀行が保有する金の売却量を制限すること売却を行う場合には事前に他の参加国に通告することなどを定めました。これらの措置により、金の大量売却による価格の急落を防ぎ、市場に安定をもたらすことを目指しました。

中央銀行金協定は、一時的に金価格の安定に貢献しました。しかし、1970年代に入ると、ブレトンウッズ体制の崩壊やオイルショックなどの影響を受け、金価格は再び不安定化しました。そして、協定は1978年に廃止されることになりました。

中央銀行金協定は、金価格の安定化という重要な目標を掲げていました。しかし、当時の経済状況や国際通貨体制の変化に対応しきれず、その役割を終えることになりました。

協定名 目的 内容 結果 要因
中央銀行金協定 金価格の安定 – 参加国の中央銀行が保有する金の売却量を制限
– 売却を行う場合には事前に他の参加国に通告
一時的に金価格安定に貢献するも、後に不安定化し廃止 – ブレトンウッズ体制の崩壊
– オイルショック
– 当時の経済状況や国際通貨体制の変化

中央銀行金協定の内容

中央銀行金協定の内容

– 中央銀行による金売却の枠組み
中央銀行金協定は、各国の中央銀行が保有する金の売却を制限する国際的な取り決めです。この協定は、金価格の乱高下を防ぎ、国際金融市場の安定を図ることを目的としています。

最初の協定は1999年に締結されました。この協定では、署名した中央銀行による金の年間売却上限を400トンに設定しました。これは、当時の金の市場規模や中央銀行の保有量などを考慮した結果です。

その後、2004年には、市場の変化に対応するため、年間売却上限を500トンに引き上げる内容の第二次協定が締結されました。しかし、2008年のリーマンショック後、再び金融市場の安定化が課題となったことを受け、2009年には年間売却上限を400トンに戻す第三次協定が締結されました。

このように、中央銀行金協定は、その時々の経済状況や市場環境に応じて、その内容が調整されてきました。 これらの協定により、中央銀行による金売却は一定の枠組みに収められ、国際金融市場の安定に貢献してきました

協定名 締結年 年間売却上限 備考
第一次中央銀行金協定 1999年 400トン 金価格の乱高下防止、国際金融市場の安定化を目的とする。
第二次中央銀行金協定 2004年 500トン 市場の変化に対応し、年間売却上限を引き上げ。
第三次中央銀行金協定 2009年 400トン リーマンショック後の金融市場安定化のため、年間売却上限を400トンに戻す。

協定の影響とその後

協定の影響とその後

中央銀行金協定は、金の価格を一定に保つことを目的とした国際的な取り決めでした。この協定のおかげで、金の価格は長期間にわたって安定し、世界経済に一定の安定をもたらしました。
しかし、1971年に始まった第三次協定は、2014年にその役目を終えました。協定の終了後、各国の中央銀行は再び自由に金を取引できるようになりました。その結果、近年では中央銀行による金の売買が再び活発化しています。
今後の金の価格を予想することは容易ではありません。世界経済の状況、各国の金融政策、投資家の心理など、様々な要因が金の価格に影響を与えるからです。例えば、世界経済が不安定な状況になると、安全資産とされる金は買われやすくなる傾向があります。逆に、経済が安定成長を続けると、金は投資対象としての魅力が薄れ、価格が下落する可能性もあります。
このように、金の価格は世界経済の動向と密接に関係しています。金の価格動向を注視することで、世界経済の現状や将来予測の一助とすることも可能と言えるでしょう。

時代 金価格 世界経済への影響 備考
中央銀行金協定時代 安定 世界経済に一定の安定をもたらした
1971年~2014年
(第三次協定時代)
2014年~現在 変動が激しい 中央銀行による金の売買が活発化
世界経済の状況、各国の金融政策、投資家の心理などが影響
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