プラザ合意:歴史的円高の転換点
1980年代半ば、アメリカ経済は深刻な問題に直面していました。その最大の要因は、巨額の財政赤字でした。当時のレーガン政権下で進められた減税と軍拡政策により、財政支出が大幅に増加した一方で、税収は伸び悩んだためです。
この財政赤字の拡大は、金利の高騰を招きました。政府は赤字を補填するために国債を大量に発行しましたが、その結果、市場に資金が溢れ、金利が上昇したのです。
さらに、この高金利政策は、ドル高を招き、アメリカの輸出競争力を低下させました。外国の投資家にとって、アメリカの金融商品は魅力的になり、ドルを買う動きが加速したためです。
その結果、アメリカの製品は割高になり、輸出が減少する一方で、輸入が増加し、貿易赤字が拡大しました。
こうした経済状況を打開するために、アメリカは主要な貿易相手国である日本や西ドイツなどに協調介入を要請しました。これは、各国が協調して為替市場に介入し、ドル安を誘導することで、アメリカの輸出競争力を回復させ、貿易赤字を削減することを目的としていました。