冷戦

経済の用語

欧州防衛共同体:幻となった欧州統合の夢

第二次世界大戦が終結すると、世界はアメリカを盟主とする資本主義陣営とソ連を盟主とする共産主義陣営の二つの陣営に分かれて対立するようになりました。これが冷戦と呼ばれる時代です。大戦で敗北したドイツは東西に分断され、特に西ヨーロッパの国々は、国境を接するソ連の軍事力による脅威に直接向き合うことになりました。敗戦直後の疲弊した経済状況の中で、ソ連の圧倒的な軍事力は西ヨーロッパの人々に大きな不安を与えました。このような状況下、西ヨーロッパの国々は、自国の安全を守るために、どのようにすればソ連の脅威に対抗できるのか、模索を始めます。その結果、西ヨーロッパ諸国は、アメリカを頼りとする集団安全保障体制を構築していくことになります。これは、ある国がソ連から攻撃を受けた場合、他の国々が共同で防衛するというものです。こうして西ヨーロッパの国々は、ソ連の脅威に対抗し、自国の安全を図ろうとしたのです。
経済の用語

東西冷戦の象徴、コメコンとは?

第二次世界大戦が終結すると、世界はアメリカを筆頭とする資本主義陣営とソ連を盟主とする社会主義陣営に二分され、対立する時代に入りました。これが冷戦です。西側諸国はアメリカの経済的な支援を受けながら戦後の復興を遂げていきました。一方、ソ連はアメリカを中心とした資本主義経済に対抗するため、独自の経済圏を築こうとしました。これがコメコン設立の背景です。1949年、ソ連の呼びかけに応じて東ヨーロッパ諸国が集まり、経済相互援助会議、すなわちコメコンが設立されました。ソ連を中心とした社会主義国による経済協力機構として、コメコンは加盟国間の貿易促進や資源配分などを調整し、経済的自立を目指しました。しかし、計画経済の弊害や西側諸国との経済格差などから、コメコンは期待されたほどの成果を上げることができませんでした。その後、東欧革命を経て1991年に崩壊しました。
経済の用語

東西冷戦の産物:経済相互援助会議とは?

- 経済相互援助会議の創設 1949年、世界は第二次世界大戦後の冷戦と呼ばれる新たな対立構造に突入していました。西側諸国はアメリカ合衆国を中心に資本主義陣営を形成し、経済の復興と発展を目指していました。その中心となったのが、アメリカ合衆国が提唱したマーシャル・プランです。一方、ソビエト連邦を盟主とする東側諸国は、独自の経済圏の確立を急務としていました。 こうした背景のもと、1949年、ソビエト連邦の主導により、経済相互援助会議、通称コメコンが設立されました。これは、東ヨーロッパ諸国の経済協力を目的とした国際機関でした。当初の加盟国は、ソビエト連邦に加えて、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、アルバニアの6カ国でした。これらの国々は、いずれも社会主義体制を敷いており、ソビエト連邦と密接な関係にありました。 コメコンの設立は、東西両陣営の対立が経済面でも鮮明になったことを象徴する出来事でした。西側諸国が自由主義経済体制のもとで経済発展を目指す一方で、東側諸国は計画経済体制のもとで、ソビエト連邦を中心とした経済圏を形成しようとしたのです。コメコンはその後、長い年月を経て、東側諸国の経済活動の中心的な役割を果たすことになります。