固定相場制

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安定とリスク:固定為替相場制の基礎知識

- 為替相場の基礎 海外旅行に出かけるときや、海外から商品を輸入するときには、円を米ドルやユーロなど、異なる国の通貨に交換する必要が生じます。 このとき、1米ドルが何円になるのか、1ユーロが何円になるのかといった交換比率を決めるのが為替相場です。 では、為替相場はどのようにして決まるのでしょうか?それは、通貨の需要と供給のバランスによって決まります。例えば、日本製品を輸出する際に円で購入を希望する外国企業が増えると、円の需要が高まります。需要が高まると、円の価値は上がり、1米ドルで購入できる円の量は少なくなります。反対に、海外旅行などで日本人が多く円を米ドルに交換すると、円の供給が増え、価値は下がるため、1米ドルで購入できる円の量は多くなります。 このように、為替相場は、世界経済の動向や、政治状況、自然災害など様々な要因によって常に変動しています。海外旅行や輸入品の価格、輸出企業の業績など、私達の生活にも大きな影響を与える為替相場。その仕組みを理解しておくことは、経済の動きを把握する上で非常に大切です。
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ブレトン・ウッズ体制:戦後経済の礎

1944年7月、世界は第二次世界大戦の終焉を目前に、新たな時代の幕開けを迎えようとしていました。ヨーロッパとアジアは戦火に見舞われ、世界経済は疲弊しきっていました。こうした中、戦後復興と国際秩序の再構築に向けて、連合国は動き出しました。アメリカ合衆国のニューハンプシャー州ブレトン・ウッズに集まった代表たちは、世界経済の安定と平和な国際関係の構築を目指し、議論を重ねました。 ブレトン・ウッズ会議は、国際通貨基金(IMF)と国際復興開発銀行(IBRD、後の世界銀行)の設立という重要な成果をもたらしました。これらの機関は、戦後復興のための資金援助や、国際通貨システムの安定化に貢献することになります。固定相場制の導入や、国際貿易の促進など、会議で合意された内容は、その後の世界経済に大きな影響を与えました。 ブレトン・ウッズ体制は、大戦後の世界経済の復興に大きく貢献し、数十年にわたる経済成長の基盤を築きました。しかし、1970年代に入ると、変動相場制への移行や、途上国の経済発展に伴う新たな課題も浮上してきました。ブレトン・ウッズ会議は、戦後世界における協力と統合の象徴であると同時に、時代とともに変化する国際秩序のあり方を考える上で、重要な転換点と言えるでしょう。
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外貨準備と連動した通貨発行

- 外貨預金のカレンシーボード制とは外貨預金のカレンシーボード制は、自国の通貨をアメリカドルのような国際的に安定した価値を持つ通貨(基軸通貨)に固定する制度です。この制度では、自国の中央銀行は、発行する通貨量に対応するだけの外貨準備を保有することが義務付けられています。例えば、100円発行する場合は、それに相当するアメリカドルを中央銀行が保有していなければなりません。これは、通貨の発行量を外貨準備と連動させることで、通貨価値の乱高下を抑え、安定化させることを目的としています。基軸通貨と固定されているため、市場の変動に左右されにくく、インフレが起こりにくいという利点があります。一方で、柔軟性に欠けるという側面もあります。自国の経済状況に合わせて、自由に金融政策を行うことができません。例えば、景気対策として通貨供給量を増やしたいと思っても、外貨準備がなければ難しい場合があります。外貨預金のカレンシーボード制は、通貨価値の安定と引き換えに、金融政策の自由度をある程度犠牲にする制度と言えるでしょう。
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世界を揺るがしたニクソン・ショック:その影響と教訓

- ニクソン・ショックとは1971年8月15日、アメリカのリチャード・ニクソン大統領が、ドルと金の交換停止を突如発表しました。世界を揺るがしたこの出来事は「ニクソン・ショック」と呼ばれています。ニクソン・ショック以前、世界の経済は「ブレトン・ウッズ体制」と呼ばれる仕組みの上に成り立っていました。この体制では、アメリカの通貨であるドルが基軸通貨としての役割を担い、ドルはいつでも一定の価格で金と交換することが保証されていました。この仕組みのおかげで、世界各国は安心して貿易や金融取引を行うことができ、経済は安定していました。しかし、1960年代後半に入ると、アメリカの経済状況は悪化し始めます。特に、長期化するベトナム戦争による巨額の軍事費の負担や、貿易赤字の拡大は深刻でした。その結果、ドルの価値は下落し、各国が保有するドルを金と交換する動きが強まりました。このままでは、アメリカが保有する金の量が底をついてしまうと考えたニクソン大統領は、経済の立て直しを図るために、一方的にドルと金の交換停止を宣言したのです。この発表は、世界の通貨システムに大きな衝撃を与え、ブレトン・ウッズ体制は崩壊へと向かいました。そして、変動相場制への移行という、新たな時代の幕開けとなりました。