欧州統合

経済の用語

幻の統合構想:EPCとは?

第二次世界大戦後、荒廃したヨーロッパの国々は、二度と戦争を起こさないという強い決意のもと、新たな時代に向けて歩み始めました。戦争を引き起こしたナショナリズムへの反省から、国という枠組みを超え、共に手を取り合い、協力し合うことの重要性が強く認識されるようになったのです。 人々はこの暗い過去を教訓に、平和で豊かな未来を築きたいと切実に願い、その願いがヨーロッパ統合という壮大な構想へと繋がっていきました。しかし、理想を現実にする道のりは平坦ではありませんでした。ヨーロッパ統合を目指す過程で、様々な計画や構想が提案され、白熱した議論が交わされました。それぞれの国が異なる歴史、文化、経済状況を持つ中で、共通の利益を、合意形成を図ることは容易ではなかったのです。 EPC(欧州政治共同体)も、そうした理想と現実の狭間で生まれた構想の一つでした。熱い理想を掲げながらも、各国の思惑や国際情勢の壁に阻まれ、実現には至らなかった構想の一つとして、歴史にその名を刻むことになったのです。
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欧州統合の父 モネ

- モネとは?ジャン・オメール・マリ・ガブリエル・モネは、1888年11月9日に生まれ、1979年3月16日に亡くなったフランスの実業家で政治家です。「欧州統合の父」として広く知られており、その生涯を通じて国際協調とヨーロッパ統合を強く訴え続けました。モネは、第二次世界大戦後の荒廃したヨーロッパを目の当たりにし、再び戦争を起こさないためには、ヨーロッパ諸国が協力し、共に発展していくことが不可欠だと考えました。 そこで彼は、フランスの外務大臣として、ヨーロッパ諸国に呼びかけ、1950年に「シューマン宣言」を発表します。この宣言は、フランスとドイツの石炭と鉄鋼の生産を共通管理下に置くという画期的なものでした。 この構想は、後のヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)設立へと繋がり、ヨーロッパ統合の第一歩となりました。モネは、ECSCの初代議長に就任し、その手腕を発揮します。その後も、欧州経済共同体(EEC)や欧州原子力共同体(EURATOM)の設立にも尽力し、ヨーロッパ統合を大きく前進させました。 彼は、政治や経済の分野だけでなく、文化や教育の分野においても、ヨーロッパ諸国の協調が重要であると考え、様々な取り組みを推進しました。モネは、その功績が認められ、1976年には、欧州議会から名誉市民の称号を授与されました。 彼の提唱したヨーロッパ統合の理念は、その後のヨーロッパの発展に多大な影響を与え、今日の欧州連合(EU)の礎となっています。