経済統合

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ヨーロッパ経済復興の立役者:欧州決済同盟とは?

第二次世界大戦後のヨーロッパは、かつてないほどの荒廃に見舞われていました。戦争は街並みを破壊し、工場を灰燼に帰し、数え切れない人々の命を奪いました。しかし、戦争が終わっても、人々の苦しみは終わりませんでした。爆撃によって破壊されたインフラは、経済活動を停滞させ、人々の生活を苦しめました。さらに、戦争中に使い果たした資源や資金は底をつき、各国は深刻な外貨不足に陥りました。海外との貿易は停滞し、経済成長は阻害され、人々は貧困と飢餓に苦しむことになりました。 このような壊滅的な状況から抜け出し、ヨーロッパ経済を復興させるために、欧州諸国は協力して新たな道を歩み始めました。それが、欧州決済同盟(EPU)の設立です。EPUは、加盟国間の貿易決済を円滑化し、外貨不足の解消を目指しました。この取り組みは、ヨーロッパ経済の復興に大きく貢献し、その後の統合と成長の礎となりました。戦争の傷跡は深く、復興への道のりは長く険しいものでしたが、EPUの設立は、ヨーロッパの人々に希望の光を与え、未来へ向けた大きな一歩となりました。
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1992年、EC統合への道筋:域内市場白書

1980年代、欧州経済共同体(EC)は加盟国間の経済的な統合を深め、「共通市場」の実現を目指していました。しかし、その道のりは平坦ではありませんでした。国ごとに異なる法律や規制、複雑な通関手続きなどが貿易の大きな障壁となり、真の意味での「共通市場」には程遠い状況でした。 EC域内では、これらの障壁が経済成長の足かせとなり、国際競争力の低下も懸念されていました。域外国に比べて経済成長率は低迷し、失業率も高止まりしていました。同時に、日本や新興国の台頭により、国際市場におけるECの存在感は薄れつつありました。 このような状況を打破するために、ECは新たな未来へ向けたビジョンを必要としていました。「単一市場」の創設は、まさにこの危機感から生まれた構想でした。単一市場は、EC域内を関税同盟を超えた、人、モノ、サービス、資本が自由に移動できる一つの市場として統合することを目指していました。 1986年に発効した単一欧州議定書(SEA)は、この野心的な目標を達成するための具体的な行動計画を提示しました。1993年までに単一市場を完成させるという明確な期限を設け、その実現に向けて、物品の自由移動を阻害する物理的、技術的、財政的な障壁の撤廃を段階的に進めていくことを定めました。
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経済通貨統合:ヨーロッパ統合の到達点

- 経済通貨統合とは経済通貨統合とは、複数の国々が、まるで一つの国のように、同じ通貨を使用し、統一された金融政策を行うことで経済的な結びつきを強める取り組みです。これは、1989年4月に発表された「ドロール報告書」の中で提唱された考え方で、ヨーロッパ諸国がより緊密な関係を築くための重要な段階として位置づけられています。 具体的には、ヨーロッパでは、この構想に基づき、複数の国で共通して使える通貨としてユーロが導入されました。そして、ユーロ圏全体で統一された金融政策を行う機関として、欧州中央銀行が設立されました。このように、共通の通貨と金融政策を持つ国々の集まりを、経済通貨同盟、またはその英語の頭文字を取ってEMUと呼びます。ユーロの導入と欧州中央銀行の設立は、ヨーロッパ統合における経済通貨統合の大きな成果と言えるでしょう。